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羅生門 他 / Ворота Расемон и другие рассказы. Книга для чтения на японском языке
芥川龍之介
羅生門 他
© КАРО, 2021
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羅生門
ある日の暮方の事である。一人の下人《げにん》[1] が、羅生門《らしょうもん》の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々|丹塗《にぬり》の剥《は》げた、大きな円柱《まるばしら》に、蟋蟀《きりぎりす》が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路《すざくおおじ》にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠《いちめがさ》や揉烏帽子《もみえぼし》が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風《つじかぜ》とか火事とか饑饉とか云う災《わざわい》がつづいて起った。そこで洛中《らくちゅう》のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹《に》がついたり、金銀の箔《はく》がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪《たきぎ》の料《しろ》に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸《こり》が棲《す》む。盗人《ぬすびと》が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代りまた鴉《からす》がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾《しび》のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻《ごま》をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄《ついば》みに来るのである。――もっとも今日は、刻限《こくげん》が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞《ふん》が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖《あお》の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰《にきび》を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微《すいび》していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申《さる》の刻《こく》下《さが》りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日《あす》の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍《いらか》の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑《いとま》はない。選んでいれば、築土《ついじ》の下か、道ばたの土の上で、饑死《うえじに》をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊《ていかい》した揚句《あげく》に、やっとこの局所へ逢着《ほうちゃく》した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人《ぬすびと》になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きな嚔《くさめ》をして、それから、大儀《たいぎ》そうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶《ひおけ》が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗《にぬり》の柱にとまっていた蟋蟀《きりぎりす》も、もうどこかへ行ってしまった。
下人は、頸《くび》をちぢめながら、山吹《やまぶき》の汗袗《かざみ》に重ねた、紺の襖《あお》の肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患《うれえ》のない、人目にかかる惧《おそれ》のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子《はしご》が眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄《ひじりづか》の太刀《たち》が鞘走《さやばし》らないように気をつけながら、藁草履《わらぞうり》をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子《ようす》を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿《うみ》を持った面皰《にきび》のある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括《くく》っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛《くも》の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人は、守宮《やもり》のように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平《たいら》にしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗《のぞ》いて見た。
見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸《しがい》が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏《こ》ねて造った人形のように、口を開《あ》いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖《おし》の如く黙っていた。
下人《げにん》は、それらの死骸の腐爛《ふらん》した臭気に思わず、鼻を掩《おお》った。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲《うずくま》っている人間を見た。檜皮色《ひわだいろ》の着物を着た、背の低い、痩《や》せた、白髪頭《しらがあたま》の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片《きぎれ》を持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時《ざんじ》は呼吸《いき》をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身《とうしん》の毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱《しらみ》をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊《ごへい》があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死《うえじに》をするか盗人《ぬすびと》になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片《きぎれ》のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄《ひじりづか》の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
老婆は、一目下人を見ると、まるで弩《いしゆみ》にでも弾《はじ》かれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞《ふさ》いで、こう罵《ののし》った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。丁度、鶏《にわとり》の脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘《さや》を払って、白い鋼《はがね》の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球《めだま》がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗《しゅうね》く黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後《あと》に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己《おれ》は検非違使《けびいし》の庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄《なわ》をかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏《のどぼとけ》の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉《からす》の啼くような声が、喘《あえ》ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘《かずら》にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑《ぶべつ》と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色《けしき》が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇《ひき》のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人《しびと》の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸《しすん》ばかりずつに切って干したのを、干魚《ほしうお》だと云うて、太刀帯《たてわき》の陣へ売りに往《い》んだわ。疫病《えやみ》にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料《さいりよう》に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
下人は、太刀を鞘《さや》におさめて、その太刀の柄《つか》を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰《にきび》を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
老婆の話が完《おわ》ると、下人は嘲《あざけ》るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰《にきび》から離して、老婆の襟上《えりがみ》をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己《おれ》が引剥《ひはぎ》をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色《ひわだいろ》の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪《しらが》を倒《さかさま》にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々《こくとうとう》たる夜があるばかりである。
下人の行方《ゆくえ》は、誰も知らない。
青年と死
×
すべて背景を用いない。宦官《かんがん》が二人話しながら出て来る。
–―今月も生み月になっている妃《きさき》が六人いるのですからね。身重《みおも》になっているのを勘定したら何十人いるかわかりませんよ。
–―それは皆、相手がわからないのですか。
–―一人もわからないのです。一体妃たちは私たちよりほかに男の足ぶみの出来ない後宮《こうきゅう》にいるのですからそんな事の出来る訣《わけ》はないのですがね。それでも月々子を生む妃があるのだから驚きます。
–―誰か忍んで来る男があるのじゃありませんか。
–―私も始めはそう思ったのです。所がいくら番の兵士の数をふやしても、妃たちの子を生むのは止りません。
–―妃たちに訊《き》いてもわかりませんか。
–―それが妙なのです。色々訊いて見ると、忍んで来る男があるにはある。けれども、それは声ばかりで姿は見えないと云うのです。
–―成程《なるほど》、それは不思議ですね。
–―まるで嘘のような話です。しかし何しろこれだけの事がその不思議な忍び男に関する唯一の知識なのですからね、何とかこれから予防策を考えなければなりません。あなたはどう御思いです。
–―別にこれと云って名案もありませんがとにかくその男が来るのは事実なのでしょう。
–―それはそうです。
–―それじゃあ砂を撒《ま》いて置いたらどうでしょう。その男が空でも飛んで来れば別ですが、歩いて来るのなら足跡はのこる筈ですからね。
–―成程、それは妙案ですね。その足跡を印《しるし》に追いかければきっと捕まるでしょう。
–―物は試しですからまあやって見るのですね。
–―早速そうしましょう。(二人とも去る)
×
腰元《こしもと》が大ぜいで砂をまいている。
–―さあすっかりまいてしまいました。
–―まだその隅がのこっているわ。(砂をまく)
–―今度は廊下をまきましょう。(皆去る)
×
青年が二人|蝋燭《ろうそく》の灯の下に坐っている。
B あすこへ行くようになってからもう一年になるぜ。
A 早いものさ。一年前までは唯一実在だの最高善だのと云う語に食傷《しょくしょう》していたのだから。
B 今じゃあア トマンと云う語さえ忘れかけているぜ。
A 僕もとうに「ウパニシャッドの哲学よ、さようなら」さ。
B あの時分はよく生だの死だのと云う事を真面目になって考えたものだっけな。
A なあにあの時分は唯考えるような事を云っていただけさ。考える事ならこの頃の方がどのくらい考えているかわからない。
B そうかな。僕はあれ以来一度も死なんぞと云う事を考えた事はないぜ。
A そうしていられるならそれでもいいさ。
B だがいくら考えても分らない事を考えるのは愚じゃあないか。
A しかし御互に死ぬ時があるのだからな。
B まだ一年や二年じゃあ死なないね。
A どうだか。
B それは明日にも死ぬかもわからないさ。けれどもそんな事を心配していたら、何一つ面白い事は出来なくなってしまうぜ。
A それは間違っているだろう。死を予想しない快楽ぐらい、無意味なものはないじゃあないか。
B 僕は無意味でも何でも死なんぞを予想する必要はないと思うが。
A しかしそれでは好んで欺罔《ぎもう》に生きているようなものじゃないか。
B それはそうかもしれない。
A それなら何も今のような生活をしなくたってすむぜ。君だって欺罔を破るためにこう云う生活をしているのだろう。
B とにかく今の僕にはまるで思索する気がなくなってしまったのだからね、君が何と云ってもこうしているより外に仕方がないよ。
A (気の毒そうに)それならそれでいいさ。
B くだらない議論をしている中に夜がふけたようだ。そろそろ出かけようか。
A うん。
B じゃあその着ると姿の見えなくなるマントルを取ってくれ給え。(Aとって渡す。Bマントルを着ると姿が消えてしまう。声ばかりがのこる。)さあ、行こう。
A (マントルを着る。同じく消える。声ばかり。)
夜霧が下りているぜ。
×
声ばかりきこえる。暗黒。
Aの声 暗いな。
Bの声 もう少しで君のマントルの裾をふむ所だった。
Aの声 ふきあげの音がしているぜ。
Bの声 うん。もう露台の下へ来たのだよ。
×
女が大勢裸ですわったり、立ったり、ねころんだりしている。薄明り。
–―まだ今夜は来ないのね。
–―もう月もかくれてしまったわ。
–―早く来ればいいのにさ。
–―もう声がきこえてもいい時分だわね。
–―声ばかりなのがもの足りなかった。
–―ええ、それでも肌ざわりはするわ。
–―はじめは怖《こわ》かったわね。
–―私《あたし》なんか一晩中ふるえていたわ。
–―私もよ。
–―そうすると「おふるえでない」って云うのでしょう。
–―ええ、ええ。
–―なお怖かったわ。
–―あの方《かた》のお産はすんで?
–―とうにすんだわ。
–―うれしがっていらっしゃるでしょうね。
–―可哀いいお子さんよ。
–―私も母親になりたいわ。
–―おおいやだ、私はちっともそんな気はしないわ。
–―そう?
–―ええ、いやじゃありませんか。私はただ男に可哀がられるのが好き。
–―まあ。
Aの声 今夜はまだ灯《ひ》がついてるね。お前たちの肌が、青い紗《しゃ》の中でうごいているのはきれいだよ。
–―あらもういらしったの。
–―こっちへいらっしゃいよ。
–―今夜はこっちへいらっしゃいましな。
Aの声 お前は金の腕環《うでわ》なんぞはめているね。
–―ええ、何故?
Bの声 何でもないのさ。お前の髪は、素馨《そけい》のにおいがするじゃないか。
–―ええ。
Aの声 お前はまだふるえているね。
–―うれしいのだわ。
–―こっちへいらっしゃいな。
–―まだ、そこにいらっしゃるの。
Bの声 お前の手は柔らかいね。
–―いつでも可哀がって頂戴な。
–―今夜は外《よそ》へいらしっちゃあいやよ。
–―きっとよ。よくって。
–―ああ、ああ。
女の声がだんだん微《かすか》な呻吟になってしまいに聞えなくなる。
沈黙。急に大勢の兵卒が槍を持ってどこからか出て来る。兵卒の声。
–―ここに足あとがあるぞ。
–―ここにもある。
–―そら、そこへ逃げた。
–―逃がすな。逃がすな。
騒擾。女はみな悲鳴をあげてにげる。兵卒は足跡をたずねて、そこここを追いまわる。灯が消えて舞台が暗くなる。
×
AとB とマントルを着て出てくる。反対の方向から黒い覆面をした男が来る。うす暗がり。
AとB そこにいるのは誰だ。
男 お前たちだって己《おれ》の声をきき忘れはしないだろう。
AとB 誰だ。
男 己は死だ。
AとB 死?
男 そんなに驚くことはない。己は昔もいた。今もいる。これからもいるだろう。事によると「いる」と云えるのは己ばかりかも知れない。
A お前は何の用があって来たのだ。
男 己の用はいつも一つしかない筈だが。
B その用で来たのか。ああその用で来たのか。
A うんその用で来たのか。己はお前を待っていた。今こそお前の顔が見られるだろう。さあ己の命をとってくれ。
男 (Bに)お前も己の来るのを待っていたか。
B いや、己はお前なぞ待ってはいない。己は生きたいのだ。どうか己にもう少し生を味わせてくれ。己はまだ若い。己の脈管にはまだ暖い血が流れている。どうか己にもう少し己の生活を楽ませてくれ。
男 お前も己が一度も歎願に動かされた事のないのを知っているだろう。
B (絶望して)どうしても己は死ななければならないのか。ああどうしても己は死ななければならないのか。
男 お前は物心がつくと死んでいたのも同じ事だ。今まで太陽を仰ぐことが出来たのは己の慈悲だと思うがいい。
B それは己ばかりではない。生まれる時に死を負って来るのはすべての人間の運命だ。
男 己はそんな意味でそう云ったのではない。お前は今日まで己を忘れていたろう。己の呼吸を聞かずにいたろう。お前はすべての欺罔《ぎもう》を破ろうとして快楽を求めながら、お前の求めた快楽その物がやはり欺罔にすぎないのを知らなかった。お前が己を忘れた時、お前の霊魂は飢えていた。飢えた霊魂は常に己を求める。お前は己を避けようとしてかえって己を招いたのだ。
B ああ。
男 己はすべてを亡ぼすものではない。すべてを生むものだ。お前はすべての母なる己を忘れていた。己を忘れるのは生を忘れるのだ。生を忘れた者は亡びなければならないぞ。
B ああ。(仆れて死ぬ。)
男 (笑う)莫迦《ばか》な奴だ。(Aに)怖がることはない。もっと此方《こっち》へ来るがいい。
A 己は待っている。己は怖がるような臆病者ではない。
男 お前は己の顔をみたがっていたな。もう夜もあけるだろう。よく己の顔を見るがいい。
A その顔がお前か?己はお前の顔がそんなに美しいとは思わなかった。
男 己はお前の命をとりに来たのではない。
A いや己は待っている。己はお前のほかに何も知らない人間だ。己は命を持っていても仕方ない人間だ。己の命をとってくれ。そして己の苦しみを助けてくれ。
第三の声 莫迦《ばか》な事を云うな。よく己の顔をみろ。お前の命をたすけたのはお前が己を忘れなかったからだ。しかし己はすべてのお前の行為を是認してはいない。よく己の顔を見ろ。お前の誤りがわかったか。これからも生きられるかどうかはお前の努力次第だ。
Aの声 己にはお前の顔がだんだん若くなってゆくのが見える。
第三の声 (静に)夜明だ。己と一緒に大きな世界へ来るがいい。
黎明《れいめい》の光の中に黒い覆面をした男とAとが出て行くのが見える。
×
兵卒が五六人でBの死骸を引ずって来る。死骸は裸、所々に創《きず》がある。
孤独地獄
この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父から聞いたと云つてゐる。話の真偽は知らない。唯大叔父自身の性行から推して、かう云ふ事も随分ありさうだと思ふだけである。
大叔父は所謂《いはゆる》大通《だいつう》の一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かつた。河竹黙阿弥《かはたけもくあみ》、柳下亭種員《りうかていたねかず》、善哉庵永機《ぜんざいあんえいき》、同|冬映《とうえい》、九代目《くだいめ》団十郎《だんじふらう》、宇治紫文《うぢしぶん》、都千中《みやこせんちゆう》、乾坤坊良斎《けんこんばうりやうさい》などの人々である。中でも黙阿弥は、「江戸桜清水清玄《えどざくらきよみづせいげん》」で紀国屋《きのくにや》文左衛門を書くのに、この大叔父を粉本《ふんぽん》にした。物故《ぶつこ》してから、もう彼是《かれこれ》五十年になるが、生前一時は今紀文《いまきぶん》と綽号《あだな》された事があるから、今でも名だけは聞いてゐる人があるかも知れない。――姓は細木《さいき》、名は藤次郎、俳名《はいみやう》は香以《かうい》、俗称は山城河岸《やましろがし》の津藤《つとう》と云つた男である。
その津藤が或時吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになつた。本郷|界隈《かいわい》の或禅寺の住職で、名は禅超《ぜんてう》と云つたさうである。それがやはり嫖客《へうかく》となつて、玉屋の錦木《にしきぎ》と云ふ華魁《おいらん》に馴染《なじ》んでゐた。勿論、肉食妻帯《にくじきさいたい》が僧侶に禁ぜられてゐた時分の事であるから、表向きはどこまでも出家ではない。黄八丈《きはちぢやう》の着物に黒羽二重《くろはぶたへ》の紋付と云ふ拵《こしら》へで人には医者だと号してゐる。――それと偶然近づきになつた。
偶然と云ふのは燈籠《とうろう》時分の或夜、玉屋の二階で、津藤が厠《かはや》へ行つた帰りしなに何気なく廊下を通ると、欄干《らんかん》にもたれながら、月を見てゐる男があつた。坊主頭の、どちらかと云へば背の低い、痩ぎすな男である。津藤は、月あかりで、これを出入の太鼓医者|竹内《ちくない》だと思つた。そこで、通りすぎながら、手をのばして、ちよいとその耳を引張つた。驚いてふり向く所を、笑つてやらうと思つたからである。
所がふり向いた顔を見ると、反《かへ》つて此方《こつち》が驚いた。坊主頭と云ふ事を除いたら、竹内と似てゐる所などは一つもない。――相手は額の広い割に、眉と眉との間が険しく狭つてゐる。眼の大きく見えるのは、肉の落ちてゐるからであらう。左の頬にある大きな黒子《ほくろ》は、その時でもはつきり見えた。その上|顴骨《けんこつ》が高い。――これだけの顔かたちが、とぎれとぎれに、慌《あわただ》しく津藤の眼にはいつた。
「何か御用かな。」その坊主は腹を立てたやうな声でかう云つた。いくらか酒気も帯びてゐるらしい。
前に書くのを忘れたが、その時津藤には芸者が一人に幇間《ほうかん》が一人ついてゐた。この手合《てあひ》は津藤にあやまらせて、それを黙つて見てゐるわけには行かない。そこで幇間が、津藤に代つて、その客に疎忽《そこつ》の詑をした。さうしてその間に、津藤は芸者をつれて、そうそう自分の座敷へ帰つて来た。いくら大通《だいつう》でも間が悪かつたものと見える。坊主の方では、幇間から間違の仔細《しさい》をきくと、すぐに機嫌を直して大笑ひをしたさうである。その坊主が禅超《ぜんてう》だつた事は云ふまでもない。
その後《あと》で、津藤が菓子の台を持たせて、向うへ詑びにやる。向うでも気の毒がつて、わざわざ礼に来る。それから二人の交情が結ばれた。尤《もつと》も結ばれたと云つても、玉屋の二階で遇ふだけで、互に往来はしなかつたらしい。津藤は酒を一滴も飲まないが、禅超は寧《むしろ》、大酒家である。それからどちらかと云ふと、禅超の方が持物に贅《ぜい》をつくしてゐる。最後に女色に沈湎《ちんめん》するのも、やはり禅超の方が甚しい。津藤自身が、これをどちらが出家だか解らないと批評した。――大兵肥満《だいひやうひまん》で、容貌の醜かつた津藤は、五分月代《ごぶさかやき》に銀鎖の懸守《かけまもり》と云ふ姿で、平素は好んでめくら縞《じま》の着物に白木《しろき》の三尺をしめてゐたと云ふ男である。
或日津藤が禅超に遇《あ》ふと、禅超は錦木《にしきぎ》のしかけを羽織つて、三味線をひいてゐた。日頃から血色の悪い男であるが、今日は殊によくない。眼も充血してゐる。弾力のない皮膚が時々|口許《くちもと》で痙攣《けいれん》する。津藤はすぐに何か心配があるのではないかと思つた。自分のやうなものでも相談相手になれるなら是非させて頂きたい――さう云ふ口吻《こうふん》を洩らして見たが、別にこれと云つて打明ける事もないらしい。唯、何時《いつ》もよりも口数が少くなつて、ややもすると談柄《だんぺい》を失しがちである。そこで津藤は、これを嫖客《へうかく》のかかりやすい倦怠《アンニユイ》だと解釈した。酒色を恣《ほしいまま》にしてゐる人間がかかつた倦怠は、酒色で癒る筈がない。かう云ふはめから、二人は何時になくしんみりした話をした。すると禅超は急に何か思ひ出したやうな容子《ようす》で、こんな事を云つたさうである。
仏説によると、地獄にもさまざまあるが、凡《およそ》先づ、根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。それも南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄《なんせんぶしうのしもごひやくゆぜんなをすぎてすなはちぢごくあり》と云ふ句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。唯、その中で孤独地獄だけは、山間曠野樹下空中《さんかんくわうやじゆかくうちゆう》、何処へでも忽然として現れる。云はば目前の境界《きやうがい》が、すぐそのまま、地獄の苦艱《くげん》を現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味を与へない。だから何時でも一つの境界から一つの境界を追つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて境界を変へずにゐれば猶《なほ》、苦しい思をする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だつた。今では……
最後の句は、津藤の耳にはいらなかつた。禅超が又三味線の調子を合せながら、低い声で云つたからである。――それ以来、禅超は玉屋へ来なくなつた。誰も、この放蕩三昧の禅僧がそれからどうなつたか、知つてゐる者はない。唯その日禅超は、錦木の許《もと》へ金剛経《こんがうきやう》の疏抄《そせう》を一冊忘れて行つた。津藤が後年零落して、下総《しもふさ》の寒川《さむかは》へ閑居した時に常に机上にあつた書籍の一つはこの疏抄である。津藤はその表紙の裏へ「菫野《すみれの》や露に気のつく年《とし》四十」と、自作の句を書き加へた。その本は今では残つてゐない。句ももう覚えてゐる人は一人もなからう。
安政四年頃の話である。母は地獄と云ふ語の興味で、この話を覚えてゐたものらしい。
一日の大部分を書斎で暮してゐる自分は、生活の上から云つて、自分の大叔父やこの禅僧とは、全然没交渉な世界に住んでゐる人間である。又興味の上から云つても、自分は徳川時代の戯作《げさく》や浮世絵に、特殊な興味を持つてゐる者ではない。しかも自分の中にある或心もちは、動《やや》もすれば孤独地獄と云ふ語を介して、自分の同情を彼等の生活に注《そそ》がうとする。が、自分はそれを否《いな》まうとは思はない。何故と云へば、或意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人だからである。
鼻
禅智内供《ぜんちないぐ》の鼻と云えば、池《いけ》の尾《お》で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇《うわくちびる》の上から顋《あご》の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰《ちょうづ》めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
五十歳を越えた内供は、沙弥《しゃみ》の昔から、内道場供奉《ないどうじょうぐぶ》の職に陞《のぼ》った今日《こんにち》まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論《もちろん》表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来《とうらい》の浄土《じょうど》を渇仰《かつぎょう》すべき僧侶《そうりょ》の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧《おそ》れていた。
内供が鼻を持てあました理由は二つある。――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。第一飯を食う時にも独りでは食えない。独りで食えば、鼻の先が鋺《かなまり》の中の飯へとどいてしまう。そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。一度この弟子の代りをした中童子《ちゅうどうじ》が、嚏《くさめ》をした拍子に手がふるえて、鼻を粥《かゆ》の中へ落した話は、当時京都まで喧伝《けんでん》された。――けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだ重《おも》な理由ではない。内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家《しゅっけ》したのだろうと批評する者さえあった。しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩《わずらわ》される事が少くなったと思っていない。内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損《きそん》を恢復《かいふく》しようと試みた。
第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫《くふう》を凝《こ》らして見た。どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖《ほおづえ》をついたり頤《あご》の先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。内供は、こう云う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机《きょうづくえ》へ、観音経《かんのんぎょう》をよみに帰るのである。
それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供講説《そうぐこうせつ》などのしばしば行われる寺である。寺の内には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。従ってここへ出入する僧俗の類《たぐい》も甚だ多い。内供はこう云う人々の顔を根気よく物色した。一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。だから内供の眼には、紺の水干《すいかん》も白の帷子《かたびら》もはいらない。まして柑子色《こうじいろ》の帽子や、椎鈍《しいにび》の法衣《ころも》なぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。内供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。――しかし鍵鼻《かぎばな》はあっても、内供のような鼻は一つも見当らない。その見当らない事が度重なるに従って、内供の心は次第にまた不快になった。内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐《としがい》もなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為《しょい》である。
最後に、内供は、内典外典《ないてんげてん》の中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。けれども、目連《もくれん》や、舎利弗《しゃりほつ》の鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。勿論|竜樹《りゅうじゅ》や馬鳴《めみょう》も、人並の鼻を備えた菩薩《ぼさつ》である。内供は、震旦《しんたん》の話の序《ついで》に蜀漢《しょくかん》の劉玄徳《りゅうげんとく》の耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。
内供がこう云う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。烏瓜《からすうり》を煎《せん》じて飲んで見た事もある。鼠の尿《いばり》を鼻へなすって見た事もある。しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。
所がある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子《でし》の僧が、知己《しるべ》の医者から長い鼻を短くする法を教わって来た。その医者と云うのは、もと震旦《しんたん》から渡って来た男で、当時は長楽寺《ちょうらくじ》の供僧《ぐそう》になっていたのである。
内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏《ときふ》せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。弟子の僧にも、内供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに対する反感よりは、内供のそう云う策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。弟子の僧は、内供の予期通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出した。そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従《ちょうじゅう》する事になった。
その法と云うのは、ただ、湯で鼻を茹《ゆ》でて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。
湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐに提《ひさげ》に入れて、湯屋から汲んで来た。しかしじかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯気に吹かれて顔を火傷《やけど》する惧《おそれ》がある。そこで折敷《おしき》へ穴をあけて、それを提の蓋《ふた》にして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。鼻だけはこの熱い湯の中へ浸《ひた》しても、少しも熱くないのである。しばらくすると弟子の僧が云った。
–―もう茹《ゆだ》った時分でござろう。
内供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。鼻は熱湯に蒸《む》されて、蚤《のみ》の食ったようにむず痒《がゆ》い。
弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下《うえした》に動くのを眼の前に見ているのである。弟子の僧は、時々気の毒そうな顔をして、内供の禿《は》げ頭を見下しながら、こんな事を云った。
–―痛うはござらぬかな。医師は責《せ》めて踏めと申したで。じゃが、痛うはござらぬかな。
内供は首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。所が鼻を踏まれているので思うように首が動かない。そこで、上眼《うわめ》を使って、弟子の僧の足に皹《あかぎれ》のきれているのを眺めながら、腹を立てたような声で、
–―痛うはないて。
と答えた。実際鼻はむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。
しばらく踏んでいると、やがて、粟粒《あわつぶ》のようなものが、鼻へ出来はじめた。云わば毛をむしった小鳥をそっくり丸炙《まるやき》にしたような形である。弟子の僧はこれを見ると、足を止めて独り言のようにこう云った。
–―これを鑷子《けぬき》でぬけと申す事でござった。
内供は、不足らしく頬をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せて置いた。勿論弟子の僧の親切がわからない訳ではない。それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。内供は、信用しない医者の手術をうける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子《けぬき》で脂《あぶら》をとるのを眺めていた。脂は、鳥の羽の茎《くき》のような形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。
やがてこれが一通りすむと、弟子の僧は、ほっと一息ついたような顔をして、
–―もう一度、これを茹でればようござる。
と云った。
内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の云うなりになっていた。
さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。内供はその短くなった鼻を撫《な》でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極《きま》りが悪るそうにおずおず覗《のぞ》いて見た。
鼻は――あの顋《あご》の下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今は僅《わずか》に上唇の上で意気地なく残喘《ざんぜん》を保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕《あと》であろう。こうなれば、もう誰も哂《わら》うものはないにちがいない。――鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。
しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。そこで内供は誦経《ずぎょう》する時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。が、鼻は行儀《ぎょうぎ》よく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経《ほけきょう》書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。
所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍《さむらい》が、前よりも一層|可笑《おか》しそうな顔をして、話も碌々《ろくろく》せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。それのみならず、かつて、内供の鼻を粥《かゆ》の中へ落した事のある中童子《ちゅうどうじ》なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑《おか》しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。用を云いつかった下法師《しもほうし》たちが、面と向っている間だけは、慎《つつし》んで聞いていても、内供が後《うしろ》さえ向けば、すぐにくすくす笑い出したのは、一度や二度の事ではない。
内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。――勿論、中童子や下法師が哂《わら》う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ哂うにしても、鼻の長かった昔とは、哂うのにどことなく容子《ようす》がちがう。見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽《こっけい》に見えると云えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。
–―前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。
内供は、誦《ず》しかけた経文をやめて、禿《は》げ頭を傾けながら、時々こう呟《つぶや》く事があった。愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍《かたわら》にかけた普賢《ふげん》の画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶《おも》い出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――内供には、遺憾《いかん》ながらこの問に答を与える明が欠けていた。
–―人間の心には互に矛盾《むじゅん》した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥《おとしい》れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。
そこで内供は日毎に機嫌《きげん》が悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱《しか》りつける。しまいには鼻の療治《りょうじ》をしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪《ほうけんどん》の罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。殊に内供を怒らせたのは、例の悪戯《いたずら》な中童子である。ある日、けたたましく犬の吠《ほ》える声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片《きれ》をふりまわして、毛の長い、痩《や》せた尨犬《むくいぬ》を逐《お》いまわしている。それもただ、逐いまわしているのではない。「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃《はや》しながら、逐いまわしているのである。内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。木の片は以前の鼻持上《はなもた》げの木だったのである。
内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨《うら》めしくなった。
するとある夜の事である。日が暮れてから急に風が出たと見えて、塔の風鐸《ふうたく》の鳴る音が、うるさいほど枕に通《かよ》って来た。その上、寒さもめっきり加わったので、老年の内供は寝つこうとしても寝つかれない。そこで床の中でまじまじしていると、ふと鼻がいつになく、むず痒《かゆ》いのに気がついた。手をあてて見ると少し水気《すいき》が来たようにむくんでいる。どうやらそこだけ、熱さえもあるらしい。
–―無理に短うしたで、病が起ったのかも知れぬ。
内供は、仏前に香花《こうげ》を供《そな》えるような恭《うやうや》しい手つきで、鼻を抑えながら、こう呟いた。
翌朝、内供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏《いちょう》や橡《とち》が一晩の中に葉を落したので、庭は黄金《きん》を敷いたように明るい。塔の屋根には霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪《くりん》がまばゆく光っている。禅智内供は、蔀《しとみ》を上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。
ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。
内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜《ゆうべ》の短い鼻ではない。上唇の上から顋《あご》の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
–―こうなれば、もう誰も哂《わら》うものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分に囁《ささや》いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
芋粥
元慶《ぐわんぎやう》の末か、仁和《にんな》の始にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。読者は唯、平安朝と云ふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。――その頃、摂政《せつしやう》藤原|基経《もとつね》に仕へてゐる侍《さむらひ》の中に、某《なにがし》と云ふ五位があつた。
これも、某と書かずに、何の誰と、ちやんと姓名を明にしたいのであるが、生憎《あいにく》旧記には、それが伝はつてゐない。恐らくは、実際、伝はる資格がない程、平凡な男だつたのであらう。一体旧記の著者などと云ふ者は、平凡な人間や話に、余り興味を持たなかつたらしい。この点で、彼等と、日本の自然派の作家とは、大分ちがふ。王朝時代の小説家は、存外、閑人《ひまじん》でない。――兎に角、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。これが、この話の主人公である。
五位は、風采の甚《はなはだ》揚《あが》らない男であつた。第一背が低い。それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。口髭は勿論薄い。頬が、こけてゐるから、頤《あご》が、人並はづれて、細く見える。唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。
この男が、何時《いつ》、どうして、基経に仕へるやうになつたのか、それは誰も知つてゐない。が、余程以前から、同じやうな色の褪《さ》めた水干《すゐかん》に、同じやうな萎々《なえなえ》した烏帽子《ゑぼし》をかけて、同じやうな役目を、飽きずに、毎日、繰返してゐる事だけは、確である。その結果であらう、今では、誰が見ても、この男に若い時があつたとは思はれない。(五位は四十を越してゐた。)その代り、生れた時から、あの通り寒むさうな赤鼻と、形ばかりの口髭とを、朱雀大路《すざくおほぢ》の衢風《ちまたかぜ》に、吹かせてゐたと云ふ気がする。上《かみ》は主人の基経から、下《しも》は牛飼の童児まで、無意識ながら、悉《ことごとく》さう信じて疑ふ者がない。
かう云ふ風采を具へた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことであらう。侍所《さぶらひどころ》にゐる連中は、五位に対して、殆ど蠅《はへ》程の注意も払はない。有位《うゐ》無位《むゐ》、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。五位が何か云ひつけても、決して彼等同志の雑談をやめた事はない。彼等にとつては、空気の存在が見えないやうに、五位の存在も、眼を遮《さへぎ》らないのであらう。下役でさへさうだとすれば、別当とか、侍所の司《つかさ》とか云ふ上役たちが頭から彼を相手にしないのは、寧《むし》ろ自然の数《すう》である。彼等は、五位に対すると、殆ど、子供らしい無意味な悪意を、冷然とした表情の後に隠して、何を云ふのでも、手真似だけで用を足した。人間に、言語があるのは、偶然ではない。従つて、彼等も手真似では用を弁じない事が、時々ある。が、彼等は、それを全然五位の悟性に、欠陥があるからだと、思つてゐるらしい。そこで彼等は用が足りないと、この男の歪んだ揉《もみ》烏帽子の先から、切れかかつた藁草履《わらざうり》の尻まで、万遍なく見上げたり、見下したりして、それから、鼻で哂《わら》ひながら、急に後を向いてしまふ。それでも、五位は、腹を立てた事がない。彼は、一切の不正を、不正として感じない程、意気地のない、臆病な人間だつたのである。
所が、同僚の侍たちになると、進んで、彼を飜弄《ほんろう》しようとした。年かさの同僚が、彼れの振はない風采を材料にして、古い洒落《しやれ》を聞かせようとする如く、年下の同僚も、亦それを機会にして、所謂《いはゆる》興言利口《きようげんりこう》の練習をしようとしたからである。彼等は、この五位の面前で、その鼻と口髭と、烏帽子と水干とを、品隲《ひんしつ》して飽きる事を知らなかつた。そればかりではない。彼が五六年前に別れたうけ唇《くち》の女房と、その女房と関係があつたと云ふ酒のみの法師とも、屡《しばしば》彼等の話題になつた。その上、どうかすると、彼等は甚《はなはだ》、性質《たち》の悪い悪戯《いたづら》さへする。それを今一々、列記する事は出来ない。が、彼の篠枝《ささえ》の酒を飲んで、後《あと》へ尿《いばり》を入れて置いたと云ふ事を書けば、その外は凡《およそ》、想像される事だらうと思ふ。
しかし、五位はこれらの揶揄《やゆ》に対して、全然無感覚であつた。少くもわき眼には、無感覚であるらしく思はれた。彼は何を云はれても、顔の色さへ変へた事がない。黙つて例の薄い口髭を撫でながら、するだけの事をしてすましてゐる。唯、同僚の悪戯が、嵩《かう》じすぎて、髷《まげ》に紙切れをつけたり、太刀《たち》の鞘《さや》に草履を結びつけたりすると、彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは。」と云ふ。その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いぢらしさに打たれてしまふ。(彼等にいぢめられるのは、一人、この赤鼻の五位だけではない、彼等の知らない誰かが――多数の誰かが、彼の顔と声とを借りて、彼等の無情を責めてゐる。)――さう云ふ気が、朧《おぼろ》げながら、彼等の心に、一瞬の間、しみこんで来るからである。唯その時の心もちを、何時までも持続ける者は甚少い。その少い中の一人に、或無位の侍があつた。これは丹波《たんば》の国から来た男で、まだ柔かい口髭が、やつと鼻の下に、生えかかつた位の青年である。勿論、この男も始めは皆と一しよに、何の理由もなく、赤鼻の五位を軽蔑《けいべつ》した。所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。栄養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが急に本来の下等さを露《あらは》すやうに思はれた。さうしてそれと同時に霜げた赤鼻と数へる程の口髭とが何となく一味《いちみ》の慰安を自分の心に伝へてくれるやうに思はれた。……
しかし、それは、唯この男一人に、限つた事である。かう云ふ例外を除けば、五位は、依然として周囲の軽蔑の中に、犬のやうな生活を続けて行かなければならなかつた。第一彼には着物らしい着物が一つもない。青鈍《あをにび》の水干と、同じ色の指貫《さしぬき》とが一つづつあるのが、今ではそれが上白《うはじろ》んで、藍《あゐ》とも紺とも、つかないやうな色に、なつてゐる。水干はそれでも、肩が少し落ちて、丸組の緒や菊綴《きくとぢ》の色が怪しくなつてゐるだけだが、指貫になると、裾のあたりのいたみ方が一通りでない。その指貫の中から、下の袴もはかない、細い足が出てゐるのを見ると、口の悪い同僚でなくとも、痩公卿の車を牽《ひ》いてゐる、痩牛の歩みを見るやうな、みすぼらしい心もちがする。それに佩《は》いてゐる太刀も、頗る覚束《おぼつか》ない物で、柄《つか》の金具も如何《いかが》はしければ、黒鞘の塗も剥げかかつてゐる。これが例の赤鼻で、だらしなく草履をひきずりながら、唯でさへ猫背なのを、一層寒空の下に背ぐくまつて、もの欲しさうに、左右を眺め眺め、きざみ足に歩くのだから、通りがかりの物売りまで莫迦《ばか》にするのも、無理はない。現に、かう云ふ事さへあつた。……